UnoMinのインドネシア生活

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別れ

2年半前
イギリス、ロンドンから直接ジャカルタに引越してきた私たち。
当時主人の働く機関に日本人は主人の他に一人しかいなかった。
しかも彼は単身でジャカルタにいらした方。
インドネシアの会社に所属していない私は、知り合いはいないし
日本人の奥様友達もいないし、しばらく一人ぼっちだった。

そんな私にジャカルタを教えてくれた人。
私がさみしくないようにといつも気にかけてくれた人。
インドネシアで出来た初めての友人、

彼女が先日急逝した。
病名は急性白血病。
私はこの悲しすぎる訃報を一時帰国中の東京で聞くことになった。

病に倒れたのは去年のクリスマス少し前。
病院に運ばれた時は、もう既に重い症状で
集中治療室に入ってしまい面会できない状態だった。
携帯電話からのメッセージが唯一のお見舞いの手段だった。
誰もが心の準備なんてする時間がなかった。

子供が小さいうちから教育を受けられるように、
裕福な家庭の子でなくても幼稚園に通えるようにと
昔彼女とご主人(主人Tの元同僚)、幼い娘さんが住んでいた
ジャカルタにある小さな家を幼稚園に改築して、月謝を驚くほど安く抑えた
地元の人々に愛される幼稚園を経営していた。

自分自身が園長先生になって、授業カリキュラムを組み
経営全般をやっていただけでなく、流暢な英語で自ら英語の授業もやっていた。
地元に愛された幼稚園だったから、すぐに規模が大きくなり
新しく大きくなった幼稚園をオープンさせたばかりだった。

幼稚園経営と先生をやりながら、頑張り屋の彼女は
特別なケアが必要な子供達にも教育が出来る先生の資格を取得。
寝る間も惜しむ努力だったのだと思う。
それなのに、「この資格の為の勉強で学べることは新鮮なことばかりで楽しいの」
と瞳を輝かせながら話してくれた。
でもその時私は、疲れているのかな、すごく痩せたな、と思っていた。

そんな難しい資格を短期間で取得した、その矢先だった。
全てが、これから、というまさにそんな時だった。

インドネシアにおける教育、人材開発、
とにかくこの分野を向上させたいという情熱を持っていた。
自分が出来ることから、やる。
それを実行できる人だった。夢に向かってすごい勢いで進んでいく人だった。

こんなことが起こっていいのか。
どうして彼女だったのか。

彼女の生き方はこれからずっと、一生、
私にとって目標となり、自分自身の戒めになると思う。
ブログに書くのはどうなのかと、悩んだけれど
こういう素晴らしい人がいたことを、多くの人に知ってもらいたいと思った。
彼女が持った夢をみなさんに伝えることで、
その夢が引き継がれていくきっかけになるかもしれないと思った。

どうして?なぜ彼女なの?と今そのことばかりを考えている。
どうしたらいいのか分からない。
彼女だったら、何て声をかけてくれるのだろう。
アドバイスをしてほしい、いつもそうだったように。
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by unomin | 2011-01-28 01:27 | ひとりごと